N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

7月が終わる

6月の初め頃に、指導霊に叱られた、というか、指導霊は「だから言ってるでしょ」と思って見てたかもしれない、そういう出来事があった。もう数え切れないほど繰り返してきている、そっちじゃないとわかっているのに心が向かってしまって、つい調子に乗って壁にぶち当たり、意気消沈しているにもかかわらず心が回復してきたらまた同じ方向に向かってしまうパターン。

自分でももうわかっている。「すっかり離れてしまわないと自分の道がダメになる」と自分に言い聞かせたって説き伏せられないってこと。そもそもそっちに向かうことが自分の道を進む障害になるっていうことのほうが思い込みに過ぎないのかもしれない。それがなくても結局私は思うように進めていないだけかもしれない。だとしたらそれは言い訳に過ぎなくて、相手のせいにしているようなのは逆に失礼に当たるのかもしれない。

こんなに何度もぶち当たっているのに心がそっちに向かってしまう、それは今の私の状況において、きっとその存在が心の救いになっているからだと思う。富士山みたいなもので、常にそこにあって私の心を支えてくれる。もちろん富士山だって登ってみればゴミが散乱しているところがあったり、滑落の危険があったり、めちゃくちゃ近くから見たらただの山と同じだったりする。それでも遠くから見て心惹かれるから、登ってみたいと思う人が絶えないんじゃないか。

私なんかはどんなに近づいても5合目の駐車場に車を止めて、土産物屋で適当な自分用の土産を買ってまた車で降りてくるくらいが精一杯で、そこから先に誰かと一緒に登ったり、山頂で朝日を望むなんてことは夢のまた夢だけど、それでも山を降りて全景が見渡せる場所から眺めるくらいは許されている。それならそうすることまで諦める必要はない。

というのはそのままの事実でもあり、比喩でもあり。

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地球は物質次元なので、所有の多寡による評価とか優劣、善悪、美醜、そういう二元的な評価からはどうしたって逃れることができない。それはもう受け入れるしかないと思う。けれどもそこに縛られる必要もなく、人間は同時に魂の存在でもあり、物質的にはうまく事を運べなくても魂をどうするかはその人自身に任されている。

そしてこういう物質次元にわざわざ降りてきているというのは、それによる喜びもあるからだろうけど、それによる悲しみや苦しみが魂を成長させるからというのがメインテーマだと、私はやっぱり今も信じている。それがどれほど意味のあることかはわからない。だから誰かに強制できるものでもない。だけど私の心の拠り所であり、人生の指針の一つである。

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こうして我が人生の新たなる幕は開けた。
ということになっている、星の配置的には。

じっさいには日々はなだらかに続いていて、行ったり来たりしながらたいして代わり映えのない日々を過ごしている。でも死ぬ時に人生を振り返ったらきっと、ここが大きなターニングポイントだったとわかるのだと思っている。

人はそれぞれに自分だけの人生が与えられていて、それは本来比較できるものではない。比べてしまうのが人間なのでそれもまた承知の上で、周囲に配慮も必要だけど、それでもやっぱりできるのは自分に直接関わる人々との生活をより良い方向に進めるための努力だけ。誰にでも限界はあるから手を差し伸べ続けるなんてことも無理。それで間違っていない。

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星の配置が生み出すエネルギーということで言えば、8月もまだまだ激しい様子。前もって何か激しい感情が沸き起こったり、盛大な勘違いをするかもしれないとわかっておけば、少しは冷静に物事を見られるかもしれない。周囲は必ずしもそうとは限らず、変な輩は増えそうな配置は続いているので、とにもかくにもそれだけは要注意。

[Posted at 18:25]