N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

プロと素人の歴然とした力量の差のこと

ネットで本を買うときは楽天ブックスを使うことが多い。青山さんの著書はシリーズになってるけど、ポスト投函にしたかったので一冊ずつ買うことにしたのに、分厚いからなのか、ゆうパックとして届いた。なぜだ…。近いうちに他の本も大阪の本屋でまとめて買おうと思う。(結局。)

この本は青山さんが最初に書いた本で、タイトル通り、疑惑のはじまりが綴られている。事故についての報道や公式発表の内容の辻褄の合わなさに次々と湧いてくる疑問が並べられている。今、ちょうど半分、第2部を読み終えたところ。

もしかしたら青山さんの本は、『新事実』や『遺物』のほうが人気があるのかもしれないけれど、この本は青山さんがなぜここまで執念を燃やして活動できるのかとか、客室乗務員として受けて来た訓練のこと、運航乗務員や整備士も含め、どれほどプロとして鍛え上げられてそれゆえその仕事に誇りを持っているかなど、この事故(事件)を知る上で重要な予備知識が語られていると思った。

こうした訓練を受けて来た方々から見れば私は社会人としてまったくのお子ちゃまで、好奇心から自分なりにあれこれ勉強はしても師や先輩の教えを直接受けたわけでもない身として、現代の自由さの弊害みたいなものがモヤモヤと引っかかっている最中である。本の内容や著者の意図とはまったく関係ないと思うけど。

今はネット時代で文章でも動画でも何でも好きなように表現できるけど、やはり素人が発信するものはどうしたってレベルが低くなりやすい。それなのに様々なレベルのコンテンツがすべて横並びに発信されて、たいしたレベルでもないものが知名度とか再生回数とかフォロワー数とかの数字でなんとなくどんどん拡散されていく。

誰でも自由に発言できることは、プロだからこそ思いつけない発想が取り上げられたり、訓練されていないからこその柔軟さや新鮮さがあったり、絵や音楽などのアートなら隠れた逸材が発見されたりと良い面もある。私なんかはブログという文化がなければ今頃はストレスを溜めきって廃人になってたかもしれない。

しかしレベルの低いものに飛びつくのはそれよりレベルの低いものであり、レベルが低いゆえに思考停止も起きやすい。レベルが低いゆえに上から物を言ったりする。そうして不毛な議論が日々繰り広げられていたりする。

数の論理で結果として本物が埋もれていったり、本物が本物であることが伝わらなかったり、適当な非難で叩かれたりするのは本当に理不尽なことだなと思う。

時々、青山さんを認めていると見せかけて「でも所詮はスチュワーデスだからなあ」とか、まるで素人の謎解き遊びに過ぎないみたいなコメントをネットのあちこちで見かけるけれど、そういう人は本当に青山さんの本を読んで言ってるのだろうか?おそらく印象操作要員なのだろうけど。

繰り返している「レベルが低い」という言葉は何かをディスっているように見えるかもしれないけど、そういうつもりじゃない。私もレベルが低い一員だし、レベルが低いから一般庶民なのだ。

今は「完璧じゃなくていい」「とりあえず人目につかないと始まらないから一歩を踏み出そう」と言われやすい時代だけど、私はやっぱり多くの人に影響を与えるものは質の高いものであってほしい。

そういう一般庶民としての思いを、こうしてブログにつらつら書いていたりする。どうあるのが望ましいのか答えは見えてこない。それでモヤモヤしているのである。

[Posted at 0:25]