私が初めてTwitterにアカウントを作ったのがいつだったのか、今となっては正確にはわからないんだけど、東日本大震災の様子はTwitterを通して知ったので、それ以前だったのは間違いない。
石井ゆかりさんの毎日の占いを読んでいて、当時は石井さんも「アカウント作らなくても読めます!」とよく仰っていたものだけど、ここ数ヶ月のこと、Twitterをログアウトして読むようになったところ、アクセスしてしばらくすると「これ以上読みたかったらアカウント登録してね」的な表示が出るようになっていた。昔よくインスタで起きていた現象である。変なとこマネするわね、と思っていた。
その仕様も都度都度変わっているらしく、前面に「アカウント登録してね」が出てきてもグレーアウトした画面をスクロールできてだいたい読めていたのが、スクロールできなくなったり、アクセスしてほんの数秒でその状態になったりして、アカウント登録者以外は締め出したい意志が強くなっているのを感じていた。
昔はアカウント登録しなくても読めたのになあ…と思いながら今日またログアウトして読んでみると、「アカウント登録してね」が出ることなく読めるではないか。もちろん登録しないと見れない情報もある。誰をフォローしてるかとか。でも特定のアカウントを読むだけなら、ログインしてプロフィールページで読むより広告やオススメなど余計な情報が表示されなくて読みやすい。
Twitterは今大変革期にあり、いろいろなニュースや噂が聞かれるので、このあたりも探り探りで変革中なのかもしれない。
大変革期は私も同じ。ここ数年のTwitterの使い方は役割を終えた。0フォロー0フォロワーで、つぶやいても誰かに伝わる確率は極めて低い。
TwitterみたいなSNSではフォローフォロワーの比率とかエンゲージメントがそのアカウントの信頼性を担保する。だから0フォロー0フォロワーというのは、イコール信頼性も0ということになり、そのアカウントが発したツイートが好意的に受け入れられることはあまりない。そもそも届かないということを差し引いての話になるけれど、アカウントがどうであってもそのツイートだけを見ていいねとかリツイートとかできる人は本当に人としてレベルが高いと思う。
そんなわけで役割を終えたTwitterアカウントをどう扱うかをずっと考えてきた。今月も新月になり、気分一新、新たに0フォロー0フォロワーでつぶやくことにした。Twitterの思惑を裏切った使い方になるけど、Twitterのいいところはタイトルを考えなくてもいい、思いついたらすぐつぶやけるところ。まあそれは同時に良くないところにもなりうるんだけど。
私は自分のTwitterプロフィールページをとても気に入っている。
この美しいページを維持したい。知らずに入ってきた人は異様な感じを受けるんじゃないかと思うけど、SNSだからってキラキラしていなかったらダメとは限らない。まして0フォロワーならなおさら。
それでも時々何かの拍子に気付いていいねとかしていってくれる人がいる。多くは駆け出しの業者って感じで宣伝のためだろうけど、つまり人目に全くつかないわけでもない。
一時期Twitterでは自分はリストに追加できないようになってたけど、この頃は追加できるらしい。そこで自分のプロフィールページならぬ自分だけが追加されているリストを作り、ここで壁打ちすることを新たなTwitterの使い方にすることにした。今のところリストでは広告が表示されないのだ。
すぐに文字化するだけならメモアプリで十分なはずなのに、不思議なものでインターネットに乗せるだけで少しの緊張感と期待が生まれる。自分の発言を吟味しようという気になる。メモアプリだと書いたまま時間が流れていくだけで忘れ去ってしまう。自分の発言への責任感みたいなものの違い。
Twitterが有料化されたらどうするか…。もしかして有料化した結果広告を消せるなら続けるかも。壁打ちなのに有料化して広告ありではさすがにもったいなくて使えない。
私がフォローしてくれても限界がきたらブロ解してしまうのは、その人のノイズになってるんじゃないかという恐れが強いからだ。このあたりは自分がHSPだと感じるところ。たぶん普通の人にも、一部のHSPの人(HSPなのにインフルエンサーみたいな人とか)にも理解しづらいのだろうと思う。アメブロをやっていた時、相手に内緒で読者登録という選択があった。はてなブログもTwitterも、すべてのSNSにおいて採用してほしいと願うことの1つ。
0フォロー0フォロワーで壁打ちと言っても「疲れた…」とかはつぶやかない(!)。人生とは、が私の人生のテーマなので、それを主軸に思いついたことがあれば壁打ちの場として使っていこうと思う。
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