N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

何が正しいかわからない

先日書いたこの言葉は、おもに私個人の生活においてどう行動するのが正しいかわからない、勉強するなら何を勉強するのか、親の仕事にどの程度関わるのか、なんらかの仕事を探すのか、収入は少なくても今は勉強に専念するのかなどなどのことでした。おもに。

今日思ってるのはもっと社会全体のこと。
ロシア国内では政府主導で民間人向けに偽情報が流されているらしいです。それを日本や他国にいるロシア人が「私たちは本当のことを知っているからそれを国内の人に伝えたい」と仰っているし、ロシアに帰ったら逮捕されるかも知れないリスクを冒してもそうする勇気は本当に尊敬します。

でもなー、私たちが知っている「本当のこと」は本当に本当なんだろうかっていう話。
それ言ったらもう本当に誰も何も信じられなくなるけどね。でも、一般庶民は、たとえばネットで発信しようったって所詮は大企業の掌の上だし、権力者が注目を集めたくないと思う発信は正当に見せかけた理由をつけて削除されたりしているわけで。

さすがに今ロシアが武力攻撃を行ってウクライナで甚大な被害が出ていることまで本当かわからない、とか言ってるわけではなくて(いや、それだって自分の目で見たわけじゃないから本当の本当はわからんけど)、報道されている論調とかに、全体主義的な意図が隠れていないとも言い切れない。権力者はもう完全に人々がどういうことでなびいて動くかとかきっとわかってるはずだから。

一方で、人々のために有意義な発信をされているアカウントだと思っていても、本当にそれが正しいのかわからない。結局今の自分の頭で考えて納得いくものを自分で選び取っていくしかないのよね。で、自分の頭で考える時に根拠にする材料の信憑性も本当のところは不明なわけで、だからやっぱりどんな情報も割り引いて見るっていう態度は大切だと思う今日このごろです。

そして、わからないと言っても日々決めないといけないことはあって、その基準になるのは結局自分、自分の周囲の人、自分に関わる人、そういう中で自分がどうありたいかっていうこと。優先順位をつけないといけないのはしょうがない。人それぞれ自分のキャパってものがあるから。

何が正しいかはわからないから、自分が選んだそれがあとから見たら間違っていたと感じることもある、それが人生。でもその時々で納得して一つ一つ階段を登っていきたいものです。


(追記)
って一般庶民が考えることによって庶民の団結力ってものが削がれるから権力者は楽っていう意図もあったりしてね。。