2023年が始まった。令和も早や5年目となった。
近年は時の速さにも慣れてきて、明けたとなればもう3月4月を思うようになった。
昨年出会った言葉の中で最も心に響いたのが、「人生は努力でどうにかなるものではない」「人間は所詮無力である」「あるがままをそのまま生きろ」というような言葉。
私が思い出しながら書くとどこか諦めのムードで包まれてしまっているけれど、私が受け取った感じではそういうネガティブな感じではなく、「自分に多くを求める必要はない」とか「もっと気楽に生きていい」「自分の持って生まれたスペックから言えば今の自分だって十分がんばっているし十分満たされていることに気付こう」という励ましの言葉だった。
その流れで呼ばれたのだったか、再三サインが来るのでとうとう道教の本を買うことにした。
ところが本屋で物色しても私のレベルに良さそうなのが見つからない。いくつか候補を見つけて結局これを買った。
『老子・荘子』森三樹三郎著(講談社学術文庫)
まえがきの最後に「昭和五十二年」とあった。なんと。私の生まれ年。これは良き本を買ったに違いない。
早速読み始めて、老子の思想を経て今荘子の思想を読んでいるところ。写真の通りで既に付箋がいっぱい。果たして今の私が読むべき思想であった。(語調が堅いのはその影響。)
「あるがまま」ということほど難しいことはないのではないか。かの河合先生と棋士の谷川氏の対談も遥か昔に読んだけれど、わかっちゃいるけど難しい、という内容だったと記憶している。
老子も荘子も「あるがままを受け入れよ」と言っている(ニュアンスは違うかも)のだと今のところ受け止めているけれど、心理学でもスピリチュアルでも必ずと言っていいほど登場するこの「あるがまま」「ありのまま」を追究するなら、老荘思想は通るべきだな、と思った。
道教の本を検索していた時に、岩波新書から入門に良さそうなのが出ているのを見つけていたけど、私が行った本屋には在庫がなかった。シリーズの他のは結構揃っていただけに悔しさもあり、それとは別に今また「チャクラ」学び直しの声もかかっていて(天から)、『ヒンドゥー教10講』は買ってきた。
なんともコレクター気質を掻き立てられる見た目である。
昨年、各宗教の概論学習に手を付けたけれど、やはりもうちょい整理し自分の基盤としたいと思う。今年の抱負の一つに追加した。
ありのままでいい、自分はわかっていても人間社会はなかなかその意識レベルに到達しそうにない。老子が言うような「ありのまま」を野放しにした結果が、犯罪や事件のもとになっているとも思う。
人間は学習する生き物で、そこに愛が伴うならそれが正しい生き方だと思う。だから厳密に言えば私は老荘思想をそのまま絶賛する立場ではない気はしている。
とは言え浅学の身、偉人の思想を学び、自分の行く先を模索したい。
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