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アナンドくんのことを知った

チャートとニュースを眺めるばっかりで浮世はとんと縁遠いもので、YouTubeなどで話題になっているというインドの占星術師アナンドくんのことを、今頃になってとうとう知った。

star7.org
(検索から無断リンク失礼します)


最近「予言」のことについてもよく考える。

星占いなどをしていると、チャートに描かれている象徴と実際に起きた出来事の関連性、というものについて、偶然という言葉では済ませられない、これはもう無視する訳にはいかない、と思うようになるもので、しかし「予言」のレベルになるには相応の技術や知識が必要であり、初心者初級者が簡単に述べてよいものじゃない、ってことが一つ。

それではアナンドくんのように聡明で的確であれば「予言」ってありがたいものなのだろうか?てことがもう一つ。

この時期に何かが起きそう、こういうようなことになりそう、とわかったとして、仮に全世界の全員がその予言を鵜呑みにして完全に防御した、たとえば感染症が蔓延してパンデミックになるという予言に完璧に備えたとする。

それでもその時点でのチャートが変わることはないわけだ。じゃあそのチャートはその時点ではどういう現象として現れるのだろう?

もしも防御はしたけどパンデミックになったのなら、その予言にはどういう意味があるのか。「ああ、たしかに当たったね」という以外に何か意味があるかしら?パンデミックにはなったけど程度が非常に抑えられて済んだ、というようなことになり得るのか?

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ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』も佳境に入ってきた。ウスペンスキーは最終的にグルジェフから離れるらしいんだけど、それももう間もなくっていうところ。

今日朱線を引いた一文。

人々は、いくらかのことは人間の意志次第だと思っていたかもしれないが、それさえも幻想で、実はこのときほどすべてが「起こり」、一人として何かを「為す」者はいないということがはっきりした時期はなかったのである。
(カギカッコは実際は傍点。P.488より引用)

私はグルジェフを盲信するわけではないけど、こういう主張への傾倒は我ながら感じている。物事はただ起こっていて、誰かが為しているわけじゃない。

もちろんそれと、善良な一市民としての道徳的倫理的な正しさを無視した行為は同じテーブルの上で語れるものではないけど。

人間存在、人生は、多層構造なのだ。


東京に行くまであと一週間ほど、ブッククラブ回で最適な本に出会うために、最後の追い込み中。

[2023-05-19 15:10]