N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

終わり

終わるときというのはどうやっても終わるんだな、きっと。
終われない、のではなく終わりたくないだけ。

エネルギー的にはとっくに終わっているものにしがみついているのが「執着」。
エネルギー的な終焉をおとなしく受け入れて、一旦そこから離れることで前に進める。

一旦離れなくても新たな関係を築いていけると信じていた。
でも難しいことには抵抗しないでセオリー通りにやるしかない。
そのほうが自分のためであり、ひいては相手のためでもある。

「それ」が始まるまでは赤の他人だった相手なのに、一度始まってしまったらどうしても手放しがたい、そういう人が、人生の中で稀にある。
多くの人は自分から去っていっても少しの寂しさくらいで忘れてしまうのに、表面的には特別なことが何もなくても自分の心の奥深くから染み渡るように存在し続けた人は、もう終わりだと何度自分に言い聞かせてもなかなか手放せずにいる。

繰り返すうちにテープが擦り切れるかのように「もうそろそろダメだろう」ということを感じているのに、本当に聴けなくなるまでしつこく再生している。

けれどもそれでいいのかもしれない。テープがまたいつか再生できることを願って、まだエネルギー的に終わったばかりのものを無理やりに押し込めてそこから離れるのも一つの案だけど、そのテープを再び聴ける保証はない。

それよりももうこれ以上無理という極限まで聴き続けて、とうとう聴けなくなったテープを手にして「もう持っていてもしかたない」と納得してようやく手放すのも一つの案。

どっちがいいということもない。
どっちにしてももう終わっているものはいつかは手放すしかないのであり、その終わりをいつ受け入れられるかだけ。

思い出はきれいなままのほうがいい、とも限らない。納得して思いを残さずきれいに手放すために、ボロボロになってもそれはそれでたぶん最適なのだろう。


どういうわけだか知らないけれど、8月になったからというわけでもないのか、昨日1日と今日2日の境目は、やけにはっきりしていた。寂しさが大きいけれど、そろそろもう本当の本当に終わりなのだろう。

次に進むとき。