自分の心あるいは魂の領域で、何かがもぞもぞと向きを変えつつあるのを感じる。
イタリア語はある程度使えるレベルに達したときに勉強してる理由がきっとわかる、と信じてやってきた。
当初から3級合格は私の目標で、それより上を目指すことは考えていなかったけど、ここに来てやっぱりその通りだった感じがしている。
来月の試験で合格できなかったら来春合格を目指し、そこを区切りとしようと思う。
縁があればまた勉強することになるでしょう。
イタリア語好きだけどネットで情報得るたび、どうせなら使う機会の多そうな英語をやっぱりやりたい、と思ってしまう。
まあ、試験前の逃げの発想かもだけど!
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先日中島岳志氏関連で借りてきた『死者と霊性』という本。
末木文美士先生が司会の座談会。末木先生は、昨年私がやってた放送大学で仏教基礎講座のメイン講師だった方。
Amazonレビューにもある通り、幅広い分野の専門家がそれぞれの立場から意見を述べていて、たしかに難しいし議論が深まってる感じはしないけど、逆に言えば思想史を学ぶに当たって取っ掛かりになる事柄の目録みたいな機能を果たしてると言えそう。
そんなこともあって気持ちが外国語から思想史宗教史に傾きつつあるのを感じる。
勉強したいことばっかり山ほどあって、自分だけそれをわかって満足して、だから何なんだろうっていう気持ちもある。
生きてる意味を実感したい。
[Posted at 7:20]