N-moca LIGHT

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残暑

晩夏、残暑、初秋、どれをとっても「本当に?」て感じする

あっつ… - N-moca : Life Diary

8月はお盆が過ぎてから涼しくなって、ツイッターでも「秋の気配」なんて言葉がトレンドに出ていた。8月最終日には、ブログに季節感のわからなさを記していた。

でも今は完全に「残暑」って感じ。これぞ残暑。今年はいつまで続くのだろう。今年は冬が早いってどこかで見かけたけれど。

残暑の陽射しは真夏よりきつく感じる。これって錯覚なんだろうか。真冬の小春日和のような秋が続けばいいのに。そういう日が私は一番好き。春のようにだんだんと陽気が増してくる頃より。しっとりと落ち着いていて、おおらかに包み込んでくれるような。大人の季節。

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かつて私がツイッターなりブログなりのアカウントを削除する時は、いつも「社会的な死」を象徴する意味合いを込めていた。本当に死んでしまうわけにもいかないので、ならば表面的にでも自死を選びたい、という気持ちだった。

でもそれがじっさいに私の、広い意味での「社会的な死」をもたらしたのかもしれない。つまり引き寄せであり、天は善悪を判別せず願いを叶えるという、それだったのかもしれない。

人が自死を選ぶ時、そこにはおそらく「他者の視線」が関係していると思う。どう見られているか、どう見られることになるか、どう見られていないか、どうも見られていないか。

誰にも必要とされないならいっそ死んだほうがマシ、とか。劣等感に苛まれて自分を否定するとか。少なくとも私が社会的な死を選んだ理由はそうだった。

そしてそれが問題だった。自分をここまで追い込んだのは自分だった。現在の他者の視線がどうであれ、ここに存在し続けることが、社会的な信頼感を得る第一歩だった。

私が逃げようとした時、「そうやってまた逃げんのか。いつまでも勝手にやってろ」と言ってくれた人がいた。その後も私は何度もアカウントを消しては作り直しを繰り返したけれど、その言葉は心に深く刻み込まれ、結局その人の前に現れ直すことを選んできた。その言葉が今の私を導いてくれたから、私にとっては宝物のような言葉だ。

現在45歳。季節で言うならまさしくこの数年は厳しい残暑のような時期なのかもしれない。成熟し、大人の秋を迎える手前。これを超えないと私の人生のいちばんいい時は迎えられない。

などと思いながら残暑を過ごすのもまた、楽しいかもしれない。人間がもてる空想というあそび。

[Posted at 9:35]