N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

排泄としての言葉

ブレインダンプはまさにそれ、頭の中にモヤモヤと溜まった思考を言葉にして外に出して頭の中を掃除するという手法で、その言葉は排泄物と同じである。

肉体における排泄物と同じく、だいたいは必要ないものでどんどん捨てていかないと溜まる一方で、体内(脳内)が毒されるので、定期的にブレインダンプをすることは精神衛生的には良いことだ。

かと言ってそれを人目につくところでするとなると、人前で排泄行為をしているのと同じような意味合いを持つことになる。

ツイッターなんかはそういう色合いがとても濃い。それがために言い争いが起きやすいのは必然である。

個人ブログだって同じことで、誰も見に来ないからとついつい気の緩みからブレインダンプに近いような記事を書いていると、それは言わばトイレのドアを開けたまま用を足しているとか、人目につく庭先で用を足しているのと大差ない。

私は「ネットに書く意味」「それでもなぜネットに書きたいか」「ネットに書く上での注意点」みたいなことを長年考えながらあちこちでアカウントを作っては消すということを繰り返してきたので、当然そんなことは気付いているけれど、それでも気の緩みから忘れがち、気付けば他人が見て不快な言葉を残しがちだったりする。

天に指摘されて都度都度気付き直してもすぐ忘れる。そして排泄物のような言葉ばかり残している。

これを避けるには、一般人の分際でネットに日記を書く、ということをやめるしかないように思う。


たとえば私の日々の癒やしであるASMRの女王Latte氏などは、作品をYouTubeにアップすることだけに全力投球している。私生活だけでなくその作品の裏側ですら見えないように注意しておられる。

一方で「音楽家なら音楽で伝えろよ、ツイッターで政治についてつぶやいてんな」という意見が正しいかというと、それこそ人それぞれの表現方法があっていいわけで、私はむしろそういうタイプの音楽家も嫌いじゃない。

ただしそういう方々には第一に音楽というフィールドがあるということが重要な要素であり、それを踏まえての言動なのであとは自己責任で好きにすればいいことだ。

その第一のフィールドを決める前に人前でごちゃごちゃやっているから天から叱責を食らうわけで、これはもう日記はやめるしかないな、と思った。ツイッターは言わずもがなである。非公開、フォロワーゼロで十分だ。


このブログは過去記事で検索からアクセスしてくださる方がいて、お役に立てているのかわからないけどそれは残したい。何か良いブログタイトルを思いつき次第タイトルを変えて、おばあちゃんの知恵袋的な、私が経験してわかった「こうするとできたよ」「こうするといいよ」なことを書く場所にしようと思う。

というわけで、本日をもって日記ブログは終了します。決めよう、第一のフィールド!

[16:55]