例えばある人が明らかなミスをしていたとして、それを指摘したいとき。
1.言い方次第で伝わり方が変わる
相手が傷ついたり強く恥を感じたりすると、間違ってますよという内容以上のことを相手が勘繰って受け取ってしまうこともある。
2.婉曲的に伝える
日本特有の文化と思われ、欧米人には嫌がられやすいとよく聞くパターン。
例え話や別の話などで相手が気付くように差し向ける。気付くかどうかは相手次第。
3.流す
黙っておく。
私はこのうち3がとにかく苦手で、どうしても言いたい、相手のことが好きなら好きであるほど言いたくてしかたない、とくに誤植。
誤植くらいならまだどうでもいい。だけど相手の振る舞いとか人間関係とかに口出しし始めると、それはもう余計なお世話の領域で、マナー違反。
さて、ここまでは既に起きて自分の目に(心に)映っていることにどう対処するかの話。
問題は、未来予測などを趣味に持ってしまったとき。
昔信頼していた「見える人」は、上の存在とやり取りできたので、時々ブログで警告めいたことを書くけど、それ以上は上から口止めされている、というようなこともよく書いていた。
それが嘘だったのかは確かめようがないけど、私は真実だったと信じている。
今になって未来予測などをするようになって、第一の問題は初歩レベル過ぎて的外れかもしれない、ということ。
そしてその予測が当たったとして、それは何かの問題や危機的状況を経験するものだったとして、それ自体を回避することはできないし、起きた出来事そのものではなく、経験にどう対処しどう活用するか、というところがその人にとってこの人生の意味だったりもする。
だから、わかってても言ってはいけない。
言ってはいけないんだったら書くなよ…と思ったりもした。自分はわかってる側の人間って言いたいのか?結構なご身分だな、とかね。
しかしその人が見えない世界で結構なご身分だったのは事実で、それだけの修行をしてきている人だった。
私は独学で学びを進めているつもりだけど、どこまで進めているのかを保証してくれる人はいないし、世に信頼性を訴えられるものもない。
となるとますます、わかっていても言ってはいけない。警告めいたことも本当は言ってはいけないのだ。だけどつい、ツイートしてしまった。未熟者。
もしかしたら今後もっと何か重大なことを予測できるようになって、めちゃくちゃ言いたいけど言ってはいけない、その訓練に差し掛かっているということなのかもしれない。
言いたいことを言わないで黙っておくのは苦しいこと、でも相手を思えばこそ黙っておくほかないこともある、という学びを、そろそろ始めなさいよ、と言われているのかもしれない。
[2023-05-14 6:17]