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完璧な親なんていない

ツイッターのおすすめやトレンドをできるだけ見ないようにしてるといきなりツイッターの動きが遅くなったので、いつもは流すようなニュース記事につい反応してしまった。Yahoo記事のツイートに引用コメントしても必ずしもビュー数多いわけじゃないけど、今日のこの記事については世間の皆さまも「おっとこれは世間的にどういった評価を受けてんの?」と気になったのかもしれない。いいねが3つついてちょっと驚いている。少し補足しておこうと思う。

完璧な親なんていない。まずこれが大前提であり、良き親を演じるべきだと言いたいわけじゃない。

子どもにしてみれば自分の親が最初の基準であり、少しずつ友だちの話などから自分の親はよそと比べてどうだとか、親の至らなさが見え始めたり、反抗心が芽生えたりして親に心を開かなくなる。それっておそらくは順調に成長している、と言っていいようなこと。子にとって親は越えるべき存在で、仲が良いに越したことはないけどそのせいで子の成長が抑制されることだってありえる。

親は親で、親としての心構えとか教育方法とか学ぶ機関を卒業するわけでもなく、自分で本や何かで学んだとしても子は子でこの世にたった一人の存在なので、結局は手探りでやっていくしかない。子の数が増えれば慣れてうまくやれるかといえばそうとも限らず、そう甘く見た結果、子の性質によってはうまく事を運べず煩わされる、ということだってあるかもしれない。

私の場合、父は子育てに関してまったくもってお手上げという感じだった。子は二人とも娘だし、もともと人との付き合いもうまい人ではないし、そこへ来て母は父への不満を子にぶつけ子を援軍に引き込むというタイプの母親だったので、子は母寄りになり、ますます子にどう接すればいいかわからないようだった。

父は私が幼い頃、かわいくてしかたがないようだった。でも成長するにつれて、生理が始まるような年頃になってきて、だんだんとお互いにどう接すればいいのかわからなくなった。思春期特有の感覚で父を軽蔑するようになった。父とはそういう存在なのです。そのうち娘が精神的に成長するのを待ちましょう。

それで私は父のことが嫌いだとばかり思っていたけど、家族といる苦しさの原因は母との合わなさだ、ということに気付いたのはいつだったか、、もう忘れてしまったけど。母も特別優秀な母親だったわけじゃない。その上私の扱い方がわからないものだから、私としては本当に苦しかった。どうやったらこの両親から逃げられるんだろう、そんなことばかり考えていた。

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大学を卒業して実家の家業を手伝うことになり、親との同居が再び始まったもののどうしても耐えられなくなったのが、2012年のこと。ほぼケンカの話し合いの結果、親が所有する事務所の上階に私が一人暮らしすることでとりあえずは丸く収まった。一人で考える時間も増え、スピリチュアルとも既に出会っていたし、そこから精神的な成長はぐんぐん進んだと思う。

そうしてようやくのこと、父も母も私に対して愛情がなかったわけじゃない、ということが納得できるまでになった。二人とも「親」をやるのが難しかっただけで「人」として間違っていたわけじゃない。

そこまで来て振り返った時にようやくわかることとして、母が私にくれていた最も大きい愛の形とは、食生活だったと思う。栄養バランスに気をつけた食事、私が嫌いなものも食べさせられた。この時の食生活が今の私の基礎になっていると思う。

何を食べるかというのは、どういった身体をつくるかということに直結しているので、成長期の子どもにとってはなおさら重要。身体は心ともつながっているので、身体の方から心に不調がくることもある。うつ病などの精神疾患にかかってしまったら薬よりまず生活習慣、食生活などを整えることが大事だったりする。

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今私は両親と円満な関係を築けているつもりでいるけど、ここに至るまでには一人暮らしを始めたのち、まず父に怒りをぶちまけ、次に母に怒りをぶちまけ、私の本音をぶつける、という作業が必要だった。二人とも普段の様子から豹変し手を付けられなくなった私に明らかにうろたえていたし、私自身も自分をどう扱えばいいのかわからなかった。だけどそれらの出来事が風穴となり、徐々に私の本当の思いを親に話せるようになった。

人と人は話し合ってもわかりあえるとは限らない。だけど親と子、家族間では、ときに大ゲンカになっても思いをぶつけ合わないとお互いの本音も想像するしかなく、そこで微妙にすれ違っていってしまう。

もしもこのニュースの子が親に本音を話し、親がそれを受け止めていたら、死なずとも学校を恨みなにかの形で見返してやる、という気概に変えられていたかもしれない。学校は学校で対応がまずかったかもしれない、でもそれ以前に家庭があり、親は親としての責任を果たせていただろうか、というところに思いを馳せる余裕があれば、学校を提訴なんてできるはずない、と思ったニュースでした。

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世間には親と子の仲が良い家族もあるらしい。それはそれでいいのかもしれない。でも多くの場合、親子関係は精神的成長の第一歩として用意されていると私は思っている。だから親が嫌いとかとても普通のこと。でもそれは言わば前提であり、そこから自分の中にある親への愛を感じ取り、親がこの世を旅立つ時には最大の愛をもって見送ることができるようになるのが最終目標の、精神的成長の旅路なのです。人生とは。

[2024-03-22 13:08]