N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

今日も朝から落ち着かない

地震、ミサイル、津波、大雨、遠地の戦争、政局不安定、等々。落ち着かない日々が続いていますがいかがお過ごしですか。わたしは元気です。(落ち込んだりはしてないです)

ツイッターでこっそり非公開リストをつくって、個人レベルで地震の理論的研究をしている人や、体感を報告している人たちを観察している。ある時、ある人が言いました。「なぜ政府がこれをできないと思う?」(超うろ覚え)みたいなこと。つまりね、結構当ててるんよね、その人たち。その発言の主も在り処もニュアンスも忘れてしまったけど、その人たちは個人レベルだから投資額に限界があって、でももっと金を突っ込めるならもっと確実な予知ができる、的なことを仰ってた。

地震の前触れ的な体感についても、なぜそういう感知ができるかはさておき、感じる人はいるらしい。こういう人々に対しては「来る来る言ってたらそのうち来る」とか「不安煽るだけの害悪アカウント」みたいな辛辣な言葉も投げつけられやすく、私も最初はどう捉えればいいのかわからなくて、さわらぬ神に祟りなしっていうか、そっと距離を置くようになってたんだけど、元日の能登の地震以降気になって(おそらく関連アカウントを見かけたのだったのだろう)観察させていただいてるわけです。

中には偽物っぽいアカウントもあるにはある。この人はこれ以上観察しても意味ないな、と思う人はリストから外したりもあるけど、信頼感のあるアカウントも結構多い。そういう人たちは皆さん真剣だし、真摯なボランティア精神からやってることなのに、いちいちコミュニティノートが付くのを見てたら、コミュニティノート書く人ってほんと暇なんだな…という気分になってくる。あの機能、どうなんだろうね。必要ならリプライとか引用コメントで十分な気がするけど。

地震予知を報告している人の中に、ご自身が東日本大震災で親しい人を亡くすなど辛い経験をしているために、とにかく備えを万全にしてほしくて報告している、と仰っている人がいる。大きな地震が起きるたびに、あちこちから備蓄の呼びかけがされて、それ自体無駄なこととは思わないけど、個人的にはやっぱり「モノの備蓄」に関してはあまり信用する気になれない。少しはしてるけど。。

結局問われるのは日頃の生活態度じゃないかな、と思うわけですよ。物を備蓄するよりも気力体力がぜったいに勝つし、整理整頓してるかとかいらないもの溜め込んでないか、天井まで積み上げてないかとかさ、これ大きい地震が来て崩れ落ちたらどうなるかってところを想像して生活できてるかとか。。いざとなったら助け合える心の柔軟性は養えているかとか、ネガティブな状況に押し潰されそうな時にそこに飲み込まれない精神的スキルは養えているかとか。

突然目の前に降って来て窮地に立たされるのって、何も大地震に限らないしね。地震だけに備えてもしかたないかな、と。それより日々どう過ごすか。まあそこには「毎晩飲んだくれない」ってことも含まれるわけですが。(反省)

じっさいに何かが起きてしまった時、その状況に合わせて対処するしかないわけで、そのとき(ああ、あれを準備しとくべきだったな)と思うこともあるかもしらんけど、そんなのは日常でもあることだしキリない気もする。ただ確かなのは、もういつどこで何が起きるかわからない、ということです。南海トラフとか首都直下型地震とかも、言われすぎていつ来るねん、みたいな声もちらほら見かけるけど、そういうことじゃない。来る時は来る。その時は選べない。以上。て感じで。

そうなると心配ばかりしててもしょうがないと思いませんか。私はそう思う。心に楽しみを。そのためにまずは呼吸から。(まとめられん)

[2024-04-03 19:45]