N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

時は過ぎた

ずっと同じアーティストをサポートし続けるということができなくて、悔しかった。

2017年の初夏、衝撃のブログと出会い、音楽は合わないかもしれないけどそのスタンスを応援したいと思い、初めて作品を手にした。本人から届いた小包は、宛名が本人の手書きで、中には手書きのお礼コメントが添えられていて、「ああ、これはファンは嬉しいだろうな」とほっこり優しい気持ちになった。

作品は案の定私にはあまり入って来ず、聴いてるほうも照れ臭いほどのラブソングを聴いては、羨ましい、言われてみたい、とばかり思っていた。たまに思い出して聴く程度だった。

ところがクリスマスを目前に、どういうわけか急速に惹かれ始めた。これは新譜だけでは足りないな、と思い、iTunesで買える曲を全部買い、NU茶屋町タワレコで買えるCDを買い、買えるものは全部買い揃えて毎日毎日聴いていた。


ある日、事件は起きた。

表の私と裏の私、でも私は一人しかいない。表の私が取るべき行動は何か、過剰な行動は、また行動し足りないとすれば何か、自分と向き合う日々が始まった。


キャパの少ないライブハウスは怖かったけど、勇気を出して行ったコンパス。まだ元気だった犬を長時間留守番させて、京都のアコースティックフェスに行った翌日、東京のワンマンにも行った。

スプリットツアーは会場の立地、キャパ、共演者と苦手が揃っていて、行けなかった。当然作品も買えなかった。

自分と向き合い、何が自分にとって、相手にとって正しいのか、今本当に起きていることは何なのか、考え続ける日々。こんなに一人の人に傷付けられたことはない、というほどいっぱい傷付いたけど、もう嫌だ、もうたくさんだと思っても、3日後には何事もなかったかのようにやっぱり応援したいと思っているのだった。

私にとって特別な出会いだったことは間違いない。また引き戻されてしまう理由は、音楽が最高なことは知っているのにみんなが最高だと言っている中、それを自分の心理的な抵抗のせいで聴けないのが悔しかったから。音楽だけはずっと応援し続けると決めた。じっさい音楽だけはいつ聴いても最高だった。



友だちを作ったほうが楽しいことは知っていたけど、過去の経験から、かなり警戒していた。だからいつも一人だった。でもやはりそれでよかったと思う。今日はっきりと、フロアの熱との温度差を感じた。

誰かを好きだという気持ちも嫌いだという気持ちも、フィルターがいくつもかけられて、何の関心もない人には見えないものが見えるようになる。他の誰もこんな経験したことないだろう、という思いも、私のフィルターになっていた。

時とともに私が彼らに求める基準が高くなってしまったのかもしれないし、過去と同じものを求めるには酷な年齢、状況なのかもしれないし、実際に私の耳がおかしかったのかもしれない。コロナ禍で、フロアが声を出したり暴れたりできなかったことも無関係とは思わない。

6人編成も悪くないけど3人の彼らの音楽に惹かれていた者にとって3人での演奏は特別なのだ。でも今日は、、私には再結成したバンドみたいに見えた。ドラムの人だけが現役だった。


人それぞれ趣味嗜好愛し方があり、私が変わらずにずっと愛し続けるということは初めから無理だったのかもしれない。

これからもできれば見守っていたいと思う。でももう私には何も口出す権利はないなと感じている。できれば既にしてしまったハッシュタグの質問を取り消したい。本人は質問を募集したいとは微塵も思っていないのに私だけが質問を投げたのも、私が村人ではない証明だと言えるのかもしれない。


私はこの数年で大きく成長したと思う。それは彼(ら)との出会いなくしてなし得なかったことで、本当に感謝している。ありがとう。

それぞれの道で自分らしくいればそれでいい。私は私が納得する人生を、彼らは彼らの道を、私はもう沿道で応援することはないかもしれないけど、テレビ中継するときくらいは陰ながらそっと応援したい。そして彼らを応援する前にとにかく自分の道を確立したい。

泣きながら帰ったあの日、月は丸く白く輝いていたけど、昨日の月は丸さを半分雲に隠し、赤く染まっていた。これもサインかも知れない。


そう言えば…昨日書いたブログに、今回の満月は私の月星座だから大いに関係ありそうだと書いたけど、関係あったということか。