N-moca LIGHT

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お墓の掃除をしてきた

母方のお墓は母の出身地高知県にあって、もう何年も行っていないけど、あちらに親族もたくさんいるので心配したことはない。

父方のお墓はここからそう遠くない山奥にある。父の兄が一人で住んでいて、兄弟仲がめちゃくちゃ悪い。もともとあまり良くはなかったのだろうけど、祖母が健在なうちはよく田舎(父の実家)にも行っていた。

祖母が亡くなって9年。お墓は祖母の家(伯父の家)からさらに山奥にあって、兄弟仲の悪さにお墓までの山道が危険なことも相まって、祖母の死後は数えるほどしか行っていない。私は詳しいことはよくわかってないのだけど、高野山でどうのとかいって、両親はいつもお参りは高野山に行っている。それを習って、私も一人で高野山に行って、意味があるのかないのかわからないなりに、奥の院で父方も母方も亡き愛犬も含めて手を合わせている。

というか、それで良しと言い聞かせてきたけど、ずっとお墓に行ってないことが気にかかっていた。伯父と顔を合わせると気まずいということもあるし、伯父がどの程度お墓の管理をしてくれているのかわからないので、私が勝手にあれこれしてしまうのもどうかという思いもあった。

けれどもやっぱり私もこの家系の人間だ。いくら籍を入れたと言っても母は関係ないうちに考えてもまだいいと思うけど、私にはれっきとしたこの家系の血が流れている。それなのにお墓を放置しているという状況がずっと引っかかっていた。

先月の連休に、お盆は混むからと思って高野山に行って手を合わしてきたけれど、そうは言ってもやっぱりこれ以上お墓を見て見ぬ振りしているわけにはいかないんじゃないかという気持ちが大きくなっていた。

台風が3つも来ると言っていたけど、天気予報を見ると今日の午前中は晴れそうだったので、今だな、というわけで行ってきた。初めての、一人墓参りだ。


限界集落なので誰にも会わないかなと思っていたら、なんと私と同じタイミングでお墓掃除に来た人がいて、しかも上の段の人だった。本当に山の中なので、一応誰かと一緒にいられるように天が(先祖が?)はからってくれたのかもしれない。


当家のお墓は、参りに来た様子はあったけど、全然管理はされていなかった。あれはシキミなのかな、頻繁に来なくても済むようにという意味なのか、当家だけではなく周辺のお墓も傍に木を植えていて、うちのはお墓を覆い尽くすように育っていた。

何をどう掃除することになるかはわからないので、念のために持っていった花切狭がとても役に立った、が、次はノコギリを持参しないとダメだ。対応しきれなかった。そばに伏せてあるバケツも底が割れてただの粗大ゴミになってるし、お供えのビールはもんのすごく古いしコップはひびが入ってるし、そら先祖は泣いてたことだろう。

今回は木の剪定とざっと掃除するだけで許してもらって、線香をあげて、消して持って帰ってきた。


一度一人で参ったので要領は得た。これからはちゃんと来るから今回はこれで許してねと約束してきた。これから彼岸の時期を迎える頃にはちゃんとお墓参りに行こうと思う。

父が亡くなる頃には伯父も亡くなってることだろう。そしたら墓じまいだ。伯父も独り者だし、父の妹がいるけれどその人も実の子供はいないし(結婚相手に連れ子が居た)、姉は結婚して別の家の人間だし、私が当家の末端なのだ。責任がある。