N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

生きた証を残すということ

YouTubeでたまたまムツゴロウさんの近況を見た。


www.youtube.com

86歳だそうで、年齢にふさわしく体の衰えには逆らえないようだけど、今後やりたいことを尋ねられて「ムツゴロウ全集を作りたい」「全300巻とか」などおっしゃるほど、心は今もお元気そう。

その目標を聞いて、私も死んでからも残るものを作ろう、と思った。

ブログにしろツイッターにしろ、ただただ今表現したいことを表現したいままにやっているだけ、例えは悪いが言うなればトイレに行きたいから行く、そのレベルのものである。

そんなもの残してもしかたない。せめて「これは作品です」と言える程度の体裁は保ちたい。作品であれば必ず誰かが評価してくれるというものでもなく、誰の目にも留まることもないまま埋もれ続けるかもしれないけれど、ネットに撒いておけば死んだ後遺跡発掘調査をしている誰かに「名作を見つけた!」と言ってもらえるかも知れない。

その時にわかるだろう、
今報われないのは生まれるのが早すぎただけだということが!

とか言うて。
妄想は膨らむ。残そう、私が生きた証を、作品として。

そもそも生きている時点で過去は消せない。生きるのがつらい時、全部なかったことになって消えてしまえればいいのに、なんて思う時代もあったけど、今までに出会った人の心には私がいる。もう思い出せないくらい奥底に沈んでしまっている人もいるだろうし、中には私が贈ったものを今も手元に残している人もいるかもしれない(捨ててくれてたほうがありがたいけど)。

どうせ人はすぐに忘れる。記憶から消えてくれることを願う必要もない。ならば逆に残そうではないか。ほとんどの人に知られることのなかった一人の女が、この世に生を得て感じたことを。

作品というのは誰かの評価、とくに高名な誰かの評価を得ることで世間の評価をも得ることを目標にするから自分には分不相応だなどと感じてしまうけれど、単に「作品としての体をなす」ということだけで言えば、別にどんなにレベルが低い者が作ろうとかまわない。

排泄レベルの日記でも、あるいは生きた証と言えるかも知れないけれど、それよりもっと見栄えの良い、自分で自分に惚れるようなものを残そう。