N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

占星術の勉強【相性・未来予測編】

naoko-y-life.hatenablog.com

さて、出生時間がわからないのでハウスの読み方はほとんどすっ飛ばしつつ、いつまでもやってられないので次へ。

父のアセンダントを割り出そうとしたら候補が2つ3つ浮かんだんだけどどうしても絞り込めない。しかし五味さんの出生時間はもうこれしかないと思う。個人情報になるかもしれないので一応伏せておくけど。まあ本当のところはきっと五味さんの母上しか知らない(覚えていれば)と思うけど、当てはまってると感じるのでそれをもとに五味さんとの相性占い。笑。

鏡先生の解説で思い当たるところに一人ニヤニヤしながら読み進め、相性編が終わったら次はトランジットの読み方。言ったら今回の占星術の勉強の最初の目的はここ。どうにか辿り着いた。


相性占い別にいらんのやけどな、と思っていたけど、「相性占い」と「今日の占い」って、じつは意味は同じだった。

つまり、今日、8月4日の星の配置を自分の出生ホロスコープと重ね合わせて今日の運勢を読むっていうのは、今日生まれた赤ちゃんとの相性を占うっていうのと同じことなのだ。ホロスコープ上は。

言い換えると、私で言うなら、私という実体は「1977年7月29日10時17分和歌山県」の星の配置によるエネルギーの象徴、ということだ。なんだそれ!おもしろい。

私と五味さんの相性をホロスコープで読むということは、「1977年7月29日10時17分和歌山県」の星の配置によるエネルギーと、「1979年11月7日某所」の星の配置によるエネルギーの掛け合わせを読むっていうことなのだ。なんだそれ!

こうなってくると占星術ってますますロジックよりロマンとか詩的、芸術的なものを感じる。

何人かのホロスコープを出生時間なしで読んでみて今感じていることは、ホロスコープから人物像を読み取るというより、ホロスコープで照合していくっていう感じのほうが強い。「この人にはこういう可能性があります」ということなんだけど、それよりも実際にそれが現象化されている時に「なるほどたしかにそういうとこある」って感じる。

そしてただそれだけのような気がしている…!つまりこれは「遊び」なのだ。あくまでも。

だけどたとえば星の配置を見た時に、天王星と火星が同じテーブルで盛り上がっていて(例えるなら坂口恭平さんとGEZANのマヒトくんって感じか)それだけでもヤバそうな雰囲気してるのに、隣のテーブルにお硬いルール重視の土星おじいちゃんが座って隣の盛り上がりに気分を害されている素振りを見せている、そのうち爆発して「静かにしろー!」とかふっかけて杖を振り回す、みたいなことがあるかも!とか、前もってわかっておくと、少しだけ心の準備ができる。今日何かヤバいことあるかも、って。

でも逆に、恋愛運がめっちゃ良さそうに見える日に結局何も起こらなかったということはいくらでもありえる、そういうときに落胆する可能性も同じだけある。だから星占いを自分軸に組み込んでしまったら占いに振り回されることになってしまう。

当たり前だけど星の配置のこととか知らなくても全然困らないし、そんなことより自分が調子良く過ごせるように整えるにはどうしたらいいのかを考えて実践するほうが100万倍大事だ。睡眠時間をちゃんと取るとか。暴飲暴食しないとか。

その上でなぜか占星術に惹かれる人も居て、振り回されない程度に趣味の一つとする分にはなんら問題はない、私もそのうちの一人、ってことだ。


ところで先の例では坂口恭平さんとマヒトくんがもし本当に公衆の面前で騒いでたとして厳しいおじいちゃんに怒鳴られたとしても、なんだかんだ丸め込んで一緒に呑んだりしてそうである。なので例としてはふさわしくないかも。

[Posted at 17:00]



nmoca.hatenablog.com