N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

煙たがられる日本のお父さん

五味さんがツイッターで弱音吐いておられますな。どうも自分の子供時代を重ね合わせてしまいます。

うちもきっちり父親は蚊帳の外な家庭でした。大学に入ってからできた友達にも、とにかくお父さんがめちゃくちゃ嫌いっていう子がいたし、お父さんっていうのは嫌われるものなのです。

でもそれって今の私から言わせると、明らかに魂からの指令なんよね。私の場合は、両親がどういうふうに考えてきたかは知らないけど、自分は自分なりに精神世界を探究することで今起きていることの意味を見出してきた。それは本当に正解かどうかはわからない。でも正解かどうかはどうでもいいんです。何が問題でどこをどうすればいいかってだけだから。その結果家族との仲がうまく運べるようになればいいし、人によっては距離を置くことで解決することもある。離れてみて、日頃感じている嫌なところを感じなくて済むようになると、その人の良い面にも思いを馳せられるようになる。まあ余裕ができるってことだね。

私は本当に母親とペースや考え方が合わなくて、母はイケイケドンドン系なとこがあるし、母という立場からも、私自身の気持ちを言葉にする下手さとかもあって、私が抑圧するしかなかった。もちろん母も母なりに私への対応の難しさを抱えていたってこととか、愛情がなかったわけじゃないってことはのちのちわかってきたけど、20代半ばまではまあ本当に辛かったね。

でも「毒親」って表現するのは言い過ぎとも思ってた。「毒親」という言葉が流行り出した時にその内容を知ると、「わかる…(泣)」ってこともいろいろあったけど、そういう場合のほとんどは魂からのお試しに過ぎなかったりする。それは言い換えると相手がソウルメイトである証とも言える。

ソウルメイトっていうのは精神的に成長させ合うものなので、家族がソウルメイトなのは普通なのです。

だけど中には本当に「毒親」としか表現しようがない親もいるよね。。例の山上くんの母親も、子供にとって毒にしかならない親ということで「毒親」と呼ぶに相応しいだろうと思う。まあ本人も洗脳されてるわけだけど。。他にもこれはたしかに魂のお試しとか言ってられん、逃げるしかないなっていう親もいる。そうして親子の縁を切ることで解決を図るのは悪いことではない、自分が生きるためだから。

ただしそういう人は、逃げること自体が魂のお試しだったりする。なんだかんだ自分が我慢してればどうにかなる、っていうのは現状維持で変化を恐れてる態度。だけど魂は受け入れたくない。そこから逃げるっていうのは住む場所を用意するとかいろいろめんどくさいことが待ってるけど、そこ越える経験っていうのを、生まれてくる前に決めてきてる、という場合もあるかもしれない。


うちの話に戻って、私はずっと「子はかすがい」と思って我慢してきてたつもりだった。私が両親の仲介役をしないといけないんだと思ってた。何かっつったらすぐ衝突する2人、そのたび家庭内のムードは悪くなり、私が双方に平等に接することで、まあだいたいは母の機嫌が直るのを待つ、みたいな感じだった。(母はどう思ってるか知らないけど!)

でももっと幼い時は、母親としては子供を味方につけるもので、「お父さんはこうこうこうでもうほんとどうなん!ねえ!?」とか言われ続けると、(ああうちのお父さんってダメな人なんだな)って思うものなんです。そして父親を見る目が偏る。成長して公平に物事を見るっていう訓練がうまくされてきたらだんだん(お母さんはああ言ってるけどお母さんだってどうなん)って思えるようになるけど、そこはもうその人自身の経験次第、魂が何を決めてきているか、精神的な成長を願っているか、ただ現世を楽しめたらいいのかとか、人それぞれ違うんだろうと思う。

精神世界の探究を始めたとき、まず最初にもらった言葉が「視野を広く持て」。そして「他人を変えようとするな、自分が変われば相手も変わる」

そうして父や母の言動にイラッと来たときも、なぜこういう言動に出るのかその裏側を読むようになり、自分はどう対応するのが正しいのか考えるようになり、最低限自分が相手から指摘されることのないように、相手を責める前に自分の言動にだけ気を遣うようにした。


そのうちに父や母に爆発する時期がやってきます。仕事上のことで父にブチ切れたり、母が私にばかり押し付けてくるとブチ切れたり。それはほんの数年前の出来事です。でもその頃から私はようやく、親に対して意見する、ということを学んだ。そして何より自分を大切に扱うことを学んだ。これはまだまだ最中で、うまくやれているとは言えないと思う。修行中。

そんな中で、「子はかすがい」は私の思い上がりだったと気付いたのです。母との共同生活がどうにもうまく行かなくなって、一人暮らしさせてもらうようになっても両親はやっぱりぶつかっていたけど、もう一緒に住んでないから私知らんよのスタンスを貫いた。すると二人は自然になのか必然的になのか、バランスを取ってうまくやるようになりました。今もやっぱり問題はたびたび発生しているみたいだけど、そういうことがあってもそれは二人の問題でしょ、ってことを一時期よく言ったし、母も私に愚痴をこぼすことはなくなった。必要なのは、「自分で解決できる」という自覚だけだったと思う。そこ目覚めさせる役割は私が担ってたかもしれない。

基本にあるのは相手に対する尊重尊敬の気持ち。これが一番難しいのが家族だと思う。ある面で秀でていてすごいな、と思っても、その他の面で自分の考えと真逆のことをされたり、家だからだらしないところを見るとイライラしたりもする。それって魂の修行なんだということ。精神的成長のきっかけ、器を大きくできるチャンス。まあそれをどう扱うか、無視するかどうするかはその人次第ですね。

五味家で言うと、娘さんもそろそろ思春期に入って多感な年頃になると思うので、お父さんはパイジャケがどうとか言ってられんかもしれんね。がんばって~

[Posted at 11:15]