N-moca LIGHT

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わかってくれる人と話すのは楽しい

本日のわかったこと

「わかってくれる人と話すのは楽しい」

私は人付き合いが苦手で会話もヘタで、すぐに何について喋ってたかわからなくなるし独りは楽だな~と思ってたけど、人間って本来誰かと同じ気持ちを共有するのが大好きなのだと思った。

「そうそうわかる~」みたいなのとか、逆に「私はそうは思わないな」ってときでも相手の考えを知ることができる嬉しさとか、やっぱり人と人との交流は人間をやってる上での醍醐味の一つ、みたいなこと。

もしも誰もが生まれてからすぐ相手の主張と自分の主張が違っても「へえ、あなたはそう思うのね、私は違うけど、まああなたがそう思うならそうでいいんじゃない?私は違うけど」みたいな、それぞれの主張をそれぞれの個性みたいなものとして受け流すことができたら、たぶん人間界というもの自体が必要ない。

あるいは、既にそういう世界は人間には感知できない高次元で存在するのかもしれなくて、人間界の役割としてはそんなふうにはできていない、もっと物欲的で自己中心的で、言っちゃえば精神的なレベルがそう高くない次元を担当してる次元なのだと思うから、社会には自分のことしか考えてない人ばかりなのもある意味当然なのだろうと思う。

そういう次元だからなおさら自分と同じ意見の人や、自分の意見を否定しないで聞いてくれる人を見つけるのは難しく、見つけたときの喜びが大きい。

私が人付き合いが苦手だと思っているのは、すべての人付き合いが苦手なんじゃなくて、「私を認めてくれない人、私との会話が楽しくなさそうな人との付き合いが苦手」なのだと再認識した。


某社記者の方に取材していただいて、正直なところ普段私が誰かに話して喜んで聞いてくれるような内容でもないようなことを、関心を持って聞いてくださってそれに答えることがとにかくうれしくて、ただただ私が楽しいばっかりで記者の方の必要としている答えを話せたのかまったく自信はないけれど、たとえ記事にならなくとも「話を聞いてくれる人がいる」「その人が私の話に共感してくれる」その嬉しさを実感できたのは、私にとっては良い時間だった。記者の方にとって良い時間じゃなきゃ意味がないわけだけど。

それに先立ち某オルタナの神にも話を聞いてもらって、その時は好きな人との会話なので当然うれしく楽しかったけれど、自分が話したいことを話せた楽しみも混じっていた(つまり最高)ことも改めて認識した。まったく五味さんはどこまでも最高なのだ、私にとって。

宗教でもスピリチュアルでも音楽でもアニメでもスポーツでもなんでもいい、心の拠り所とするものがあって、なおかつ自分の脚で立っているなら、つまりしょうもないことで他人に寄りかからないということだから、それこそがその人の人生観であり、それを否定できる人はどこにもいない。

人と話すことで自分が考えている方向性を見失う、誘導されるレベルもあるけど、ある程度自分の脚でしっかり立てるようになったら次はむしろ、人と話すことで自分が考えている方向性がより明確になる。


西洋占星術の世界では、今年の3月は動きの遅い土星と冥王星が星座を移動するということで、結構な何らかの激震が走るのではないかと見られている。崩れ去るものや、難しい局面もあるかもしれない。物質的に起きたら自然大災害なども考えられるし防災は意識しておくに越したことはない。

個人レベルでも大きな変化の後押しになる可能性は高く、表面的には辛い出来事もあるかもしれないけれど、そこ乗り越えて大きく成長したいところ。

私が楽しいことも大事だけど、ここ数日で私が感じたように、否定しないで話を聞いてくれて、適度に質問を挟むことで話している本人の迷いや悩みに光が差し本人が自分で勝手に道を見つけるような、そういう相談相手、みたいなことができたらいいな、と思う。

そのために、この人になら話を聞いてもらいたい、と思ってもらえるような、私の顔となるブログを始められるよう準備していきたいな、と思っている。

[2023-03-01 0:28]