著作物には著作者の権利があって、他人の著作物を利用したかったら著作権者の許諾を得なければならない。というのが基本中の基本。
他にも、人物が写っている写真とかだったら肖像権とかパブリシティ権とかいろいろある。
だけどそういう細かいことを言うなら、全人類がそれらの法律について能動的ではなく受動的あるいは義務的に学ぶ機会があって然るべきで、そこまでやってられんしまあ酷いやり方じゃなかったら見逃しとくわ黙っとくわ、という、グレーの領域がめちゃくちゃ広がっているのが今という時代だと思う。
私は生来の性格に完璧主義的なとこがあって、できればグレーは避けたい人。なんでって、いつなんどきどこからどういうツッコミが入るかわからないから。そんなことで揉めごとを作りたくないし、自分が間違ってなかったら済む話だから、できるだけグレー、とくに濃いグレーは踏まないようにしている。
自分が何らかの権利を侵されているようなときに、「お前もルーズやんけ」と言われないためでもある。
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そういうのはじつは著作権周辺のことだけでもなくて、日常のいろいろな場面で起きる。過去に付き合いのあった友人たちと疎遠になるきっかけも、相手のグレーを私がどうしても受け入れられないためにこちらから距離を置く、ということはよくあった。
そういう私のような人物が、気難しく扱いにくく、一緒にいても気疲れする、ということも想像できる。だから私と過ごしても面白くないだろうと思うし、こちらも相手が濃いグレーを発動したときにイライラするので、誰かと仲良くなるということ自体に不安があって踏み込めないし、だったら一人のほうがマシだと思ってしまう。
決して話をするのが嫌いというわけではなく、ごくたまにお互いに心底わかり合えていると感じるような会話には、快感すら覚える。もう何年もそういう経験がないものだから、本当に楽しい会話ができたときには、相手にとってはしょうもない会話でも、うれしくて楽しくて涙が出たりする。
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たぶん人付き合いが上手な人は、そういう道徳的にグレーな行為を知人友人がしても、上手に諌めたりスルーしたり、叱っても次の瞬間には相手をフォローしたりとかできるのだろう。私にはそれは高等技術のように思える。
これからも相手と仲良くやっていくためには言うべきところは言うべきだと思うけど、そういうのが何度もあったら、その人と自分とは相性が悪いってことなのだろうと受け止め、疎遠にするしか方法がわからない。
たぶんそれも私の超えるべき課題で、それ超えないと人生の本当の恵みは経験しないまま生涯を終えることになるんだろうな、とも思っているんだけど。。まだそういう機会が来てないだけかな。
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ネット時代において、アップされている画像の流用とかで権利関係のことを言い出したらキリがない。権利者が不快な思いをしたときにのみ問題が生じるのであって、しかも権利者がその不快感を直接相手に、あるいは公に表さなければ世間的には問題としては扱われない。
「悪気があってやってるわけじゃないし、怒られてへんのやから別にええやん」
というわけで、本当にそうなのか、てとこなのです。
でも私も厳しすぎるのかもしれない。そのバランスをどう取ったらいいのかがわからないのです。
[2024-03-06 17:55]