N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

旧暦如月2日【令和6年】

記事編集ページに「どんなところに春を感じる?」ってお題が表示されてるんですけど、そんなもん「気」の「陽」率しかないやろ。(いいちこお湯割り2杯目)

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新月からの週明けだからなのか、今日は仕事が忙しい一日だった。今月の目標立てて心を入れ替えてとか思ってたけど、飲み始めたら無理だわなー。しかしお酒が心を緩めてくれるのも確かなので。

今日のツイッターは震災関連も多いけど、なかなか引きずっている様子の自民党青年局ハレンチパーティーに関して、私が思ってることを書いてみようと思う。

まずなんでダンサー?を呼んだのか、てことについて、苦し紛れな言い訳をしてたようだけど、真相は単に伝統だったんじゃないかと私は思っている。

どの資格とは言わないけどうちの父の保有資格者が、ほぼ強制的というか自動的というか強い意志で拒否しない限り入ることになる団体がある。

あれはいつのことだったかな…たぶん私が20代後半頃のことだろうか。当時はまだバブル後と言っても行事などはバブルの名残があって、その団体の有資格者の慰安旅行みたいなものもよく企画されていたようだった。家族や補助者も参加して皆さんの交流を深めましょうという趣旨で、まだペーペーだった私は両親に言われるがままにその旅行に参加した。

家族が来ていたのはうちだけじゃない。奥さんと来ていた人は多数居たと思う。その旅行のある晩の宴会で、コンパニオンのお姉さんたちが登場したのだ。私はまったく意味がわからなかった。コンパニオンは、その場の空気からなのかただただ参加者にお酌をして回って各テーブルを盛り上げようとするんだけど、コンパニオンを呼びたかった有資格者の会員たち以外にはまったく意味をなさない存在で、彼女たちも話題に困ってその日はかなりキツかったんじゃないかと思う。

私はその日初めて、話には聞いたことがあったコンパニオンという仕事はこういうことをするのだという仕事現場を目の当たりにして、何とも言えない気持ちになった。いまだに思い出せるくらい、強烈な経験だった。

そんなわけなので、自民党青年局の企画するパーティーでも、コンパニオン的な女性を呼ぶのは恒例だったんじゃないかと想像している。

もしかしたらそういうのがとくに好きな上層部が参加するのでその人を喜ばせるためとか、たとえばそういった企画は下火になっていたけどコロナ禍も明けたようなものだし景気付けにあの頃の盛り上がりを、とか、もしかしたら企画者が自分の株を上げようとして失敗したとかも考えられるけど、どうであれ今回が初めてなわけがないだろう。

しかしながらこれほど性に関して世論が厳しくなっている昨今なのに、真っ先に考慮すべきそこを無視して今この状況って、どんだけ世間の風を読めないんだ…と言わざるを得ない。

泉谷さんも言ってたような「女遊び」云々に関しては時代の空気などもあって、5年10年前の出来事で世間が騒ぐのはどうかと私は個人的には思ってるけど、昨年11月の時点でこれは、叩かれても仕方ない。

あるいは、一般市民の声をもっと大きく上げさせるために、天が仕掛けた罠だったのかもしれません。

もっとも、たいした痛手になってるようにも見えないけどね。。

自民党に限らないのかもしれないけど、とは言え自民党は日本を操ってきた歴史もあるので、その分ずーっと昔の慣習を、世間の目とか見ないでごまかしごまかし続けてきているのだろうと思う。団体になってしまったら体質を変えるのは非常に困難で、急進的革新的な若者層が形骸化した慣習を正そうとしたって対立して分裂するしかないっていうのは伝統的宗教でだって証明されている。

ならば長いものに巻かれておいたほうが楽、という判断が通用しなくなっているのが、地の時代から風の時代への移行期なわけで。

てゆーかそんな占星術用語持ち出すまでもなく肌感でわかるやろって思うけどね。。

自民党は今後どうなるんだろうねえ。法人税優遇されてる企業の皆さんの応援を受け続ける限り、何も変わらん気がします。

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余談ですが、最近出てきた某オレンジ色の党は、言ってることはまともなような気もするけど私はちょっと遠巻きに見てる。党首の目の奥がどうも、、気のせいかな。

私と相性悪いだけかもだけどね。

一般庶民、政治とどう関わったらいいんですかね。そこらへんも過渡期かな。

酔い冷めてきたわ。お湯割りおかわりー

[2024-03-11 19:55]