N-moca LIGHT

Everything should be okay because YOU ARE ALIVE.

結局はてなに帰ってきてしまった

noteを使ってみたい気持ちがずっとあった。noteを始める前に、黒い噂を全然知らなかったわけじゃない。いや、noteを始めてから気付いたんだったかな、、とにかく始めた当時にはすでに、スキのボットがあるらしいってこととか、良からぬ噂は目にしていたけど、今の自分には関係ないやと思い、noteを使ってみたい気持ちを優先させた。

 

今まで散々書きたいだけのブログを作ってきた私だけど、noteでは読んでもらうことを目指そうと決めフォロバ100を宣言したところ、あれよあれよとフォロワーが増えた。もちろんフォロバした。

 

実直(高校の担任は「剛直の間違いじゃない?」と宣った)な私は、気になったタイトル、気になった人の投稿はちゃんと読んで、感想の結果としてスキをつけるかつけないかを決めていた。

あたりまえだけれど、すぐに疲れた。その上、自分が書きたかった内容に疑問が生じてきた。これ書き続けて意味あるのかな…と思うようになった。

 

そして先頃アカウントを分けることにした。フォロワーなし、もしくはフォロバせずに本当に読みたいと言ってくれる人だけフォローしてくれている環境で書くためだ。はっきり言うと、「逃げた」。フォローとフォロワーがそこそこいる環境に疲れてしまったから。

 

そして今朝、noteに冷めた。

きっかけはダッシュボードのView数と思しきものの内容をぐぐったことだけど、それにつられていろいろと黒い噂を読んだ。なにか社会の闇をいっぺんに見させられた気分になった。

 

書きたいだけなら文字の大きさとか色とかの編集ができるほうが私は好きだ。あんまり使わないけれど。単純に「note」というブランドイメージに騙されていただけだったと思う。はてなの良さを思い出してしまった。彼氏の嫌なところが目について、前の彼氏のほうが良かったと思うみたいなものかもしれない。

 

読んだ中に、イケハヤさんの「(noteは)これだけいろいろあってもクリーンなイメージを保てているところがすごい」という引用文を読んで、それはたしかにそうかもしれないと思った。

 

でも結局一般消費者をいかにして体裁良く騙すか、という社会はまだ全然終わってないし、そういう社会が終わりを告げる日は来ないのかもしれない。人はたいてい自分が生きている「今の時代」は過去よりも良くなっている、マシになっていると思っているものじゃないかと思うけど、時代を経ても人間の本性や社会構造はそう簡単に変わるものじゃないのかもしれない。風の時代、なんて言ってるけれど、人間の心までは変えられないのかもしれない。

 

 

またじきにここも飽きるかもしれないけど、しばらくはここに日記を書こうと思う。せっかくnoteでハッシュタグに慣れてきたこともあるし、独り言の駄文だけどハッシュタグもつけることにしよう。

 

ツイッターみたいに適当にやろう。私にはネット上に公開して独り言をつぶやくスペースが必要なのだ。人間関係超下手だから話し相手もいないし、自分から友だちを作ろうにもどういう人と友だちになったら納得できるのか、この人となら付き合っていけると思えるのかがわからない。noteでそれを試したけれど、最終的にみんな候補から消えてしまった。

基準が厳しいのだろうとは思う。けれども目の前にいる人と付き合っていかないといけないのとは違って、ネットではその人である必要がないから、関係は簡単に途絶える。本当に本当の友だちを作りたいならやっぱり現実的な行動が不可欠で、その前のビジョンが整わない。だからしばらくまた一人で気楽に適当なことを書いていこう。

 

人生はしんどいことがいっぱい用意されている。だからいかにして自分を安心させていくか、自分を楽しませていくかは超重要なミッション。こんな駄文でしんどい思いする必要などない。