広い意味で好感を抱いている相手に、正直な気持ちを伝えたら相手がすごく喜んでくれた。
こういう感覚はすんごく久しぶりで、嬉しくてしばらくニヤニヤしてしまった。
やっぱり言葉ってのは自分を追い詰めたり相手を傷つけるためじゃなく喜ばせるために使いたいものだ。
昨日の日記で五味さんは人に会うのが好きと書いたけど、本来人は誰でもそうなんじゃないかと思った。
いろいろな経験や状況を経て恐怖心が強まっているだけで、その前は人が好きなんじゃないかな。だって誰もが分け御霊だからね。
もちろんより好きな人とより心を通い合わせたい、きっと誰もがそう。私も。その願望が人一倍強く、そうじゃない感覚、言葉は交わしても気持ちはすれ違っているとか同じことを話しているようでポイントがズレているとか言ってる意味が通じないとか、人付き合いの中で疲れることのほうが多かった。
きっとそれは相手も同じに感じていて、だから自分が疎遠にする人は、相手からも声が掛からないんだろう。
昔五味さんがツイッターで言っていたこれ。
理想言えば、自分が歌ったり演奏したりする現場で、自分は消えて無くなって、ただ音楽だけがある。発する側も受けとる方側も溶けたような、境目がなくなって、ただ音楽だけがある。そういうものを作りたいなと、思っているわけです。ちょっとうまく伝わらないかもしれないが、そんな感じで。
— LOSTAGE (@LOSTAGE) 2021年10月28日
好きでツイッターのブックマークに入れてある。この感覚。相手が誰とかが重要なんじゃない、融け合う感覚を求めている。
昔toeのライブを観ながら音楽とセックスの共通点のことをぼんやり考えたことがあったけど、ライブに求めているものもセックスに求めているものも、本質的には同じなのかもしれない。
▶五味さんの下ネタを見るとちょっと安心する - N-moca : Life Diary
溶け合いたい、解け合いたい、融け合いたい。
それは分かり合い繋がり合う感覚で、そこには相手への理解があり愛があるから喜びになる。
逆に言えば、この物質次元ではそれがいかに難しいかということ。きっと肉体を脱ぎ捨てれば当たり前にできることで、様々な制限をかけてわざわざ難易度を上げている。そういうゲーム、というこの世界、人生。
時間制限あり、タイムリミットに近づくほどに難易度は上がる。
無駄な消耗を避けるために慎重になっている。けれどもそうすることで喜びの機会を失ってもいる。
自分の言動で相手が心底喜んでくれて、それが自分の喜びになる。それをずっと求めてる。そういう仕事がしたいと思ってる。お金を稼ぐことも大事だけど。喜んでほしい。それが私の存在価値を高めるから。
そういう仕事をしている人に憧れている。尊敬している。私にはとても難しい、だからせめてサポートさせてほしい。ツイッターで推し活が話題になってたけど、きっとこういうことなんじゃないかな。ファン心理ってさ。
だけどね、おそらくだけど、そういうズルはしないでちゃんと自分の場所から自分の世界を発信することでそれをするべきなのよね。怠けて誰かを利用してないで。自分で。
って思ってるんだけどね。
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