N-moca LIGHT

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『コンサート・フォー・ジョージ』を観てきた!

LOSTAGEをFUGAZIに重ねて語る人はあれど、ビートルズに重ねて語る人はまずいないだろう。(しらんけど)

しかし私としてはLOSTAGEが重なって見えてしかたなかった。ビートルズっていうか、ジョージの交友関係、ていうほうが近いのかもだけど。

もちろんLOSTAGEとビートルズではスタイルから規模から何から何まで違うし、単純に今私が外側の立場から観察している2大バンドだからっていうのは大きい理由だし、そもそもジョージのバンドの立ち位置から言うなら当てはまるのは拓人さんかもしれず、仮にジョージの立場が五味さんだったとして、肝心のクラプトンは誰なんだっていうと、これが全然思い当たらないんだけど。

ジョージの一人息子であるダーニが、ジョージと交流のあったミュージシャンたちのことを話す時に「家族みたいだ」と言ってたってこともそうだし、この日のバンドの女性コーラス二人に、アチさんとマスドレのなっちゃんが重なって見えたし、誰とは言わんけどモンティ・パイソン枠に入りそうな人もいるし、何よりそこに流れる空気、愛が、LOSTAGEを彷彿させた。あくまで私には、だけど。

ジョージがこの世を去ったのが2001年11月29日で、その一年後の命日にこのコンサートは開催された。出演者はジョージの前妻と結婚するほど近しかったエリック・クラプトンの声掛けで集まったミュージシャン仲間で、会場の上部にはジョージの大きい大きい写真が遺影のように飾られていた。インド音楽や哲学にも近しく、ラヴィ・シャンカールを師と仰いでいたジョージなので、その筋の方々も出演し、その様子はまさしく一周忌といった風情だった。(アヌーシュカはサラスヴァティーのように神々しく美しかった)

このコンサートはDVDにもなっているしYouTubeにも出てたりするけど、私はこの映画館で観るのが初鑑賞になる。でもきっとそれでラッキーだったのかもしれない、と思った。家の小さな画面としょぼいスピーカーで観ても、伝わってくるものは半分にも満たなかっただろうし、そういう意味では当日その場に参加できた人たちはとてもラッキーだったのだろうと思う。

編集の仕方は賛否両論ありそうな感じで、当日の様子を延々と綴るわけではなく、リハーサルの様子や舞台裏、出演者へのインタビューなどを挟みつつという形式。なので実際のコンサートを観るのとはだいぶ違う。

クラプトンは「言葉にするのは嫌いだ、感傷的になるから」とかなんとか言いつつ、コンサートについてのインタビューにこう応える。

ジョージはこう言うだろうと思うよ、「ありがたいけど望んでないよ」って。彼はあまのじゃくになるようなところがあって、僕が一肌脱いでもそんなふうに言う。そしたら僕はこう返すんだ、「これは自分のためにやることだから」って。(テキストが目の前にないので不確かながら、ニュアンスとしてこんな感じ)

いやもうジョージがクラプトンに言いそうなことっていうのがそのまんま五味さんが私に言いそうなことで、その対応のしかたもまた私の言いそうなことで、聞きながら心の底から染み渡ってワンワン泣きましたわ。クラプトン…健気やな。そして思った。私はまだまだ全然甘いなー!クラプトンレベルになると幼少期から精神的に嫌でも鍛えられ続けてきたからそういうのも踏まえてあの地位に立ち続けてるのやろうな、と。

芸能業界はお金を集めやすいために汚いこともいっぱいあって、初期のビートルズとかも大人の事情で踊らされてたけど、当然それだけじゃなくやっぱり人の上に立つだけの何かが備わってるからそれが務まるんだろうな、と。

私なんかはせいぜい時々映される客席で一瞬映る人でしかない。でも後年大成して雑誌のインタビューかなんか受けて、「じつはあの記念すべきコンサートに私出てるんですよ、いやもちろんステージには立ってないんですけどね」「え!そうだったんですね、どういう?」「ほら客席のこの人、私です、ただの人だったときの」みたいなこと言ってみたいなー!大成する前にとっかかりを捕まえたい!手始めに!


受付でチケット渡したらパンフレットみたいなんくれた。非売品です。

[2023-10-28 16:35]