N-moca LIGHT

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KANさんの訃報

私のKANさんとの出会いは、たしか姉からもたらされたものだった、気がする。やまだかつてないテレビはドンピシャの世代であり、そこで知ったのだったのかもしれない。ともかく特大ヒット曲である「愛は勝つ」が収録されたアルバム『野球選手が夢だった』を、姉は姉で友人からダビングしてもらい、そのカセットを私がよく聴いていた、のだった気がする。

ピアノ教室で提示される練習曲に飽き飽きしていた私は、とにかくポップスをピアノで弾けるようになりたかった。小室さんが好きだったのでTMの楽譜もよく買ったし、当時のヒット曲集みたいなものも買った。その中にKANさんのこのアルバムのピアノ弾き語り楽譜もあった。

左手と右手、16ビートだったりするともうお手上げで、全然うまくならなかった。そんな中お気に入りだったのが「千歳」「君が好き胸が痛い」。どちらも弾いてる途中で大泣きして止まってしまうのだった。

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月日は流れ、今から15年ほど前だろうか。何かの流れでまた聴くようになった。その頃KANさんは、弾き語りライブツアーとバンドライブツアーを年単位とかで交互にやっていた。まず弾き語りのほうを観覧し、やはりバンドライブも観ておかねば、とこちらも参加。その頃からFMココロの、根本要さんと一緒にやっていたワビサビナイトも時々聴くようになった。

ワビサビナイトのイベント、というわけではないのかもだけど後の時間の馬場俊英さんとかと一緒にイベントを大阪の靱公園でやっていて、私は遠巻きリスナーだったのでラジオで様子を聞く程度だったけど、やはり一度行ってみようかと、ある春のこと、心に決めた。しかし何の因果かその年は中止になってしまったのだ。それに加えて私の心も別の方向に向かい始めていたのもあり、この番組もKANさんの音楽もだんだんと遠ざかっていったのだった。

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15年ほど前に再び聴くようになったきっかけはこのアルバムだったかもしれない。

このアルバムの最後の曲でASKAさんと共演されている。なので交流があるのは知っていた。最近になってツイッターでASKAさんをフォローし、流れてくるツイートの中にたまにKANさんがいた。それで元気にやっておられるのだな、と思っていた。でももしかすると、最期の時を予感し、それで最後にフランスを旅し、これで心残りはないと魂は判断したのかもしれない。

KANさんのツイッタープロフィール。


https://twitter.com/_kimuraKAN

いきなりロシア語が書いてある!笑
なんて書いてるのかなと思いきや、「シンガーソングライター」だそうだ(Google翻訳)。
「好きな言語は北京語」と書きつつ「セッサントゥーノアンニ」、イタリア語で sessantuno anni、61歳である。ツイートにもイタリア語がカタカナで散りばめられている。札幌出身は、KAN's ジョーク。

きっと音楽活動も復帰されるのだろうと思っていたし、予想よりもずっと早く逝ってしまわれたけれど、近年聞く訃報の中では稀に見る爽やかさを感じた。風になって舞って消えた、そんな感覚。

KANさん、お疲れさまでした。素晴らしい音楽と軽やかな空気をありがとうございました。

[2023-11-17 14:00]

[2023-11-19 19:11]